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テレフォンショッキング ハプニング集(1980年代編)
2008年01月04日 (金) | 編集 |
1983年4月14日、小森和子が次回ゲストのイルカの
電話番号を言ってしまった。
1983年12月1日、佳山明生がゲスト出演した放送で、
佳山が登場する直前に男性関係者がステージに乱入し、
ゲスト席に座り込んだ。
タモリは当初、何がなんだか分からない様子だったが、
「君、どうしたの?何か話したい事あるの?」と冷静に彼に
話し掛けていた。しかし異変を感じ取った観客は大きく
ざわめき出し、スタッフが男を取り押さえることで事なき
を得る。タモリも事後、事態を理解し「びっくりしたー!」と
安堵。さらに桂文珍がアドリブで出てきて「番組を続けて
続けて!」と盛り上げ、混乱した会場の空気を和ませた。
ちなみにその青年は、「今年の芥川賞の選考結果」
について視聴者に意見を発表したいと考えていたそうで、
取り押さえたスタッフがその意見を一応聞いたが警察に
引き渡したと後日タモリが番組で語っている。
これをきっかけにスタジオアルタの警備がさらに厳重に
なったとされる。現在会場の警備はガードマンのほか、
「本多芸能」、「BEEPS(ビープス)」という会社の社員や
アルバイトが担当。
黒柳徹子、有吉佐和子、明石家さんまが、本コーナーに
与えられた時間を大幅に上回ってトークを行った。
1984年3月14日、黒柳出演時には46分間トークした
(これは当時のプロデューサーの横澤彪に続けるように
言われたから、と2回目に出演した時に黒柳本人が
言っていたが、真相は不明)。この記録は破られていない。
2005年12月16日に22年ぶりに出演した際も39分間トークし
先を急いだタモリが次回の滝沢秀明との電話で、
金曜日にも関わらず「明日来てくれるかな?」と間違えて
しまった。エンディングでも「明日も見てくれるかな?」と発言
しかも金曜レギュラーも観客もまったく気づいた様子が
なかった。ちなみに黒柳2度目の出演については、前回の
例やタモリとの親密な仲(「徹子の部屋」年内最終放送に
タモリが毎年出演)からトークが長くなりそうなことが
スタッフ間で予測できていたためか、CM前には「まだまだ
続くのか!?テレフォンショッキング!!」と左下にテロップが
表記されるなど、ある程度の余裕があったように思われる。

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一般人がゲストとして出たこともあったんですよ~。
続きは↓

1984年6月22日、有吉出演時には45分間トークした。
有吉はこの日のために池田満寿夫デザインの奇抜な
着物(生地にラッカーを吹き付けただけの大胆な代物)
姿で登場。前日の有島一郎からの伝言が書かれたメモ
をいきなり破り捨てたり、かつてタモリが作詞した
早稲田大学の応援歌を客席に強要して大合唱するなど、
異様なハイテンションのまま独走したため、客席からは
不満のどよめきが起こった。またこの当日のレギュラー
であった明石家さんまが、あまりのトークの長さに怒り、
突如スタジオに乱入し、「帰ってよ」や「(次の)コーナー
潰すな! 死ねや! クソババア!」と暴言を吐き、有吉と大喧嘩を
始めた。同年8月30日に有吉が急性心不全で病死したため、
タモリはさんまに対し「お前が(死ねと)言ったから死んじゃった
んだぞ」と冗談交じりに話した。この「ハプニング」については、
有吉個人の「暴走」という説と、事前からスタッフ側との
打ち合わせで有吉だけでコーナーをぶち抜いてやることに
決めていたという説とがある。前者について、同年の3月14日
に長話最長記録を樹立した黒柳徹子は、2005年12月16日に
出演した時「有吉さんは私の記録を抜きたいと言った。」
と言ったため、この暴走にはある程度の計画性があったの
ではないかと示唆されている。
キレたさんまも、有吉が出演する少し前の1984年2月13日に
出演した時に、35分間もトークしている。
1984年4月23日、泰葉(落語家の春風亭小朝元夫人)が
「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけて
しまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問い
かけると「いいとも!」と答えたため、その次の日から3日間、
本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキング
が行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否した
ため、一般人の出演はこの3人で終了。
なお、一般人のテレフォンショッキングはこれが唯一。
1985年2月26日、森末慎二(前年のロサンゼルスオリン
ピックで金・銀・銅メダルを獲得した体操選手)が出演予定
だったが、当時のアマチュアスポーツ選手既定では無断
でのテレビ出演を禁じていたため、森末は即日引退を表明し
番組出演を強行。以後、タレントとして活動していく
きっかけとなった。
1985年4月16日、松本伊代が「お友達紹介」の際に誤って
再び一般人に電話をかけてしまった。この一般人は、
その年の年末スペシャルに生出演し、放送中に名前を
名乗ったためにデートの申し込みなど様々な電話が
自宅にかかってきたことを話した。
1989年11月10日~11月13日、プロレスラーのアントニオ猪木
同じくプロレスラーで当時売り出し中であった橋本真也とリレーし
14日に蝶野正洋が出演した。友達は田中美奈子だが蝶野と
田中の会話が一切無く、本当に友達なのかという疑問が生じた。
後に蝶野は「名前も顔も知らない人と何を話したらいいのか解らず
困ったから何も話さずにタモリに電話を渡した」と語った。
1989年12月21日、当時話題の人物だった武豊が出演。
前日のゲスト早見優は「お会いしたことは無いんですけど…」
と前置きして紹介した。武は佐野量子を紹介した。

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